hiro

2011年5月29日

石巻 MIYAGI

みなさん。 こんにちわ♪

梅雨が始まったみたいっすね。

今年2回目の台風もやってきて

サーファーのみなさんも走り回っていると想います♪

僕はこの1週間OSAKAを出発し湘南、栃木、石巻、静岡と

愛犬RODYと共にflowしていました。

この1週間の慌ただしい旅は東北を見て感じる

すこしでも誰かを助ける。

そして、宮崎や大阪の仲間から託された救援物資を届ける♪

そんな思いで出発した。

1人で寂しい旅になるとおもっていると

旅と波乗りを愛するナイスでピースなサーファー

"TARO"から

「俺もいくぜー♪」っと電話をもらい

途中栃木でPICKし一緒に行く事に。

栃木で長靴やマスクなどの装備を充実させ

3時間ほど高速をノソノソと走り

朝方、石巻に到着。

道路に所々ヒビ割れが目立つようになり

気がつけば言葉を失うような光景が目の前に広がる

画面で観ている世界とは全く違う現実の世界

そこに立っていると

何かすごい力を感じて身体が震えそうになる。

とにかく画面の世界とは違う。

においもするし。すごく不安にもなる。

そして、その後は何も考えられなくなった。

TAROと放心状態のまま朝5時、車を走らせ

TSUNAMIが襲った町を走り続ける。

そして、時間は6時から7時になる頃

壊滅状態の町に自衛隊の車が行き交うようになり

人が動き始めた。

それまではすごく破壊のイメージしかなかった町が

いっきに「復興」っというイメージに変わった

道ばたに出てウバグルマを押すばーちゃんの右手は

日本の国旗を振る。

ウバグルマに乗っている赤ちゃんの手も

同じように日本の国旗を振る

そんな光景の横を自衛隊の車やボランティアの車が

通り過ぎる。

この瞬間を観て何も感じない日本人は絶対にいないと想う。

何かしたいってみんな想うはず。

そしてTAROと二人、ボランティアの本拠地があるという

大学に行き、宮崎や大阪の仲間からの救援物資を届け

ボランティアの作業チームに入り

朝、昼と1日2回色んな場所に派遣され

TSUNAMIが残して行ったヘドロを

ひたすら土嚢袋に詰め込み家の外へ出す

っという作業を繰り返す。

ほんまに色んな人たちがボランティアにきている

うれしかったのはサーファーがすごく多かった事。

湘南や千葉から多くのサーファーがきていて

宮崎からは以前イベントを手伝ってもらった

TAKUさんも炊き出し部隊として2週間も

東北のみんなの腹を満たしている。

中には1ヶ月近く大学にキャンプし毎日ボランティアに

参加している人もいるらしい。

3、4日しか滞在出来なかった僕が言うのは

適切ではないかもしれないですが

僕は石巻に活気を感じました。

町にはがんばろう!!っと登りがあがり

まだ2ヶ月しかたっていないのに

営業できるレストランは店をあけている。

ボランティアで作業に行くと

「ありがとう!」っと

ほんとはすごくつらいはずやのに

笑顔で僕達を気遣ってくれる。

そんな1つ1つがすごくやさしくて

僕がたすけてもらっているそんな気分になった。

自衛隊は朝から働きっぱなしで

みんなの為に風呂までつくっている。

とにかく、テレビにかじりついていたって

なにもわからない。

自然の力には勝てないが

きっと人間は町を家をまた復興出来ると想う。

そのためにはきっとたくさんの人の力が必要やと想うし

僕は人と人が助け合わないと何も出来ないと想う。

自衛隊もサーファーもやくざも警察も

おっさんもおばちゃんも

こんなときはみんなでやるしかないんちゃうかな

っておもいました♪

もし東北でなにかしたいって想う人は

まじで自分の責任でいってくださいね♪

正直、放射能の事とか僕は色々しらべてもわかりません。

もしかするとすごく危険かもしれないし

そうじゃないかもしれない。

もしかするとまた大きな地震が来るかもしれないし

こないかもしれない。

とにかく自分の魂と相談してください。

僕は石巻に行ってすごく学びました。

たくさんの人が傷ついたのにこんなふうに言うのは

ダメかもしれないですが。

僕はすごいたくさん学びました。

石巻ありがとうです。

石巻で出会ったサーファー、りょうちん、マーボーくん

鎌倉人力車のみなさん、たくさん

栃木から色々助けてくれたBro TARO

みんなほんまにありがと♪

また近いうちに会える日を楽しみのしてます。

                がんばっぺ 石巻!!!

2011/05/30 13:30

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